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あおべかものがたり
青べか物語
山本 周五郎
「文藝春秋」1960(昭和35)年1月号~1961(昭和36)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 160,888 字 · 317 页
――このあとを書くと人は信じなくなるだろうが、事実を云うと、男は右手の拳を私のほうへぐいと突き出したのである。私は危険を感じて身を反らし、男は突き出した拳を上下に揺すった。これを見ろ、といったような手つきなので、その拳を注意して見ると、握った中指と人さし指とのあいだから、拇指の頭が覗いているのであった。――これが真相なのだが、よしそうでなくとも、私がどんなにへどもどし、かつぶきみに思ったかは想像がつくだろう。これは冗談なのか、それともこの男の頭がおかしいのか、私には見当もつかなかった。
どうしようがあるか、男は拳を突き出したまま、ぎょろっとした眼だまで私を睨んでいる。ふざけているのでないことは慥からしい、どうしようがありますか。私はしごくあいまいに微笑してから「やあ」というような不得要領な声をもらし、それから大きく頷いてみせた。
それで納得したのか、または話にならないと思ったのか、男は無表情のまま拳をおろし、黙って自分の釣り作業に戻った。
或る夜、私は蒸気河岸の高品さんの炉端で、その男のことを話した。高品さんの本家は十台島という小字にある深い樹立に囲まれた、一町四方もあるような邸宅で、なんでも先祖は浦粕町の開拓者だそうであるが、――高品家の長男であり、私の知人である柾三氏は、夫人のきんさんと二人で蒸気河岸