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あおべかものがたり

青べか物語

山本 周五郎

「文藝春秋」1960(昭和35)年1月号~1961(昭和36)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 160,888 字 · 317 页

青空文庫

私は話を聞きながらも、またそのあと、自分の家へ帰ってからも、ささやんの悲しみの深さに心が痛んだ。

「人はなんによって生くるか」

私は呟いてみた。それはまなんで覚えた言葉ではない、文法もでたらめである。けれどもそれは、妻と四人の子を一度に失った男の言葉なのだ。

ささやんは三度病院へ入れられた。昂奮して人に乱暴したためであるが、病院にいると温和しいし、常人と少しも変らないため、二三カ月いると退院させられるのだという。町にいても、からかったり悪口を云ったりしない限り、乱暴はしないということであった。

彼がどうして急に「兵曹長だ」などと思いこんだか、誰にもわからない。ほかにもう一人、「赤馬」と呼ばれる頭のおかしい男がいて、これは本当に退役した兵曹長であるが、その男はささやんがおかしくなったあとでこの浦粕へ帰って来たのであるし、それ以前にも二人は知合いではなかった。だが、そんな因果関係の有無にかかわりなく、頭のおかしい兵曹長が二人もいるということは、町の人たちにとってひどく暗示的にみえたようだ。

私はささやんとは一度しか会わなかった。彼の悲しみの深さを思うと、いまでも私は心に痛みを感じるが、あの妙な握りかたの拳を出してみせた意味は、どうしても理解がつかないのである。