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あおべかものがたり

青べか物語

山本 周五郎

「文藝春秋」1960(昭和35)年1月号~1961(昭和36)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 160,888 字 · 317 页

青空文庫

「黙って歩け」としゃがれ声の男が云った、「助十郎はこを濡らしちゃいねえか、はこは大丈夫か」

問いかけられた相手がなにか答えた。

「寒いよ」と女の子が泣き声で(かれらはこのときちょうど私の家の前にさしかかっていた)云った、「かあちゃん寒いよ、耳へ雨がはいるよ」

「井前橋から新川堀へいったらどうかな」と云う声がした、「とくぎょうは危ねえと思うが」

「黙って歩けねえのか」しゃがれ声の男がどなった、「みんな持ち物を落すな、早くしねえと、……」

そのあとは聞きとれなかった。

庇と雨戸を打つ雨の音がはっきりし、かれらの話し声は、川上のほうへと遠ざかっていった。どういう人たちだろう、男女と子供で七八人はいたようだ。宿でもとれなかったのだろうか、私は漠然とそんなふうに思ったが、それだけのことで、考えはまた元に戻り、少女小説を書くか童話にするか、それとも東京の洒落斎翁のとこへねだりにゆくかなどと、怠けた思案に耽るのであった。

明くる日、私は午ちかくに起き、高品さんを訪ねて童話原稿の前借をした。高品さんはもちろん新聞社へ出勤したあとで、きん夫人がそれだけのものを貸してくれた。