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あおべかものがたり

青べか物語

山本 周五郎

「文藝春秋」1960(昭和35)年1月号~1961(昭和36)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 160,888 字 · 317 页

青空文庫

「ゆうべ浦粕座が焼けたのよ」ときん夫人は茶を淹れながら云った、「知らないでしょ」

浦粕座はこの町でただ一軒の芝居小屋であった。堀南の表通りからちょっとはいったころにあり、古いけれども鼠木戸などを備え、畳敷きの平土間に、片花道があって、いかにも芝居小屋という感じのする建物であった。

「柏権十郎座がかかってたでしょう、かかってたのよう」と夫人は云った、「入りがないんでみんな小屋へ泊ってたんですって、ところが楽屋が狭いから舞台へも寝たんでしょ、古い引幕かなんかにくるまって、躯を寄せあって、お互いの躯の温かみで寝るんだそうね、ちょっと乙なけしきじゃないの」

「乙なようですね」と私は答えた。

「その舞台へ寝た人たちが」と夫人は続けた、「夜なかに蝋燭をつけて用を足しにいって、それを枕元に立てたまま寝ちゃったらしいの、それが引幕に移ったからたまらないわ、ぼうっといっぺんに天床へ燃えあがっちゃうでしょう、襖とか障子ならどうにかできたでしょうけれど、幕だからいっぺんに天床まで燃えあがっちまうわ、どうしようもないわよ」

私が訊き返すと、夫人はかぶりを振った。

「いいえ逃げちゃったんですって」