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あおべかものがたり

青べか物語

山本 周五郎

「文藝春秋」1960(昭和35)年1月号~1961(昭和36)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 160,888 字 · 317 页

青空文庫

いつそんなところにいったかわからないが、人の呼びかけ声に振り返って見ると、十メートルほどうしろの芦の中に、白く塗った一艘の蒸気船がもやってあり、そのとものところに、一人の痩せた老人の立っているのが見えた。

「そんなとこじゃ釣れねえだよ」と老人は特徴のあるしゃがれ声で云った、「こっちへ来せえま、この船の上から釣ればいいだ」

私はへどもどとなにか答えながら、その老人のようすを観察した。

そこは水路のゆき止りで、向うに松並木のある岸が見え、船はそちらを舳先にしてもやってあり、底が浅いため、岸に繋いだほうが高く、ぜんたいが艫のほうへかしいでいた。老人の年はわからない、痩せたひょろ長い躯に、両前ボタンの古ぼけた制服を着、かぶっている帽子には錆びて黒ずんだモールと、徽章が付いていた。通船の船長の正装であるが、上着から下は裸で、皺くちゃになった渋色のパンツが見えていた。顔は汐やけがして黒く、頬も眼もくぼんでいるが、顎は逞しく張っており、眩しそうに寄せた眉毛は灰色であった。

老人は私と話したいようすを示したが、私はなんとなくおちつかず、――というのは、そんな芦畑の中に古い通船があることも、その船にそんな老人がいることも、少なからず非現実なような感じがしたからであるが、――またこの次に来よう、という意味の返事をして、まもなく