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あおべかものがたり

青べか物語

山本 周五郎

「文藝春秋」1960(昭和35)年1月号~1961(昭和36)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 160,888 字 · 317 页

青空文庫

それはビヤホールというものだ、と女が云った。いや、トンカツやカレーライスが出来るから洋食屋と違いはない、と老人が云った。一杯売りをするのは生ビールといって、樽で来るから一杯ずつでも売れるが、壜詰はあけてしまえばあとがかんのんさまだから一杯だけ売るわけにはいかないのだ、と女が云った。あとがかんのんさまになってもしょうばいは損して得取れということがある、と老人が喚きたてた。

私は縛りあげられ、罠にはまったことを知った。まだ三分の一ほど残っているビール壜を、老人のほうへ置き直しながら、私は云わなければならないことを云った。

「そうかね」と云うより早く老人は女に向って喚きたてた、「コップ」

それから私を見て「タバコの持合せはねえかね」

私が答えると、老人は「なに、いま欲しかねえだよ」と云った。

釣舟宿の「千本」の三男の長から、私は老人のことを聞いた。その土地の出来事について、籠屋のおたまと「千本」の長とが、つねにぬかりなく情報を呉れるのである。おたまも長も小学校の三年生であった。――老人の名は芳、夫婦っきりで、三本松の裏に住み、「大蝶」の倉庫番をしている、ということであった。