Japanische Klassiker mit Furigana
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こどうひゃくわ
胡堂百話
野村 胡堂
Lesen Sie 胡堂百話 (こどうひゃくわ) von 野村 胡堂 (のむらこどう) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 124.386 Zeichen · 248 Bildschirme
バッハは視力を失ってからも、子供たちに守られて、精神的には幸福な晩年を送ったが、勝気で独身のヘンデルは、そういう具合にゆかなかった。一七五一年、最後の作品『エフタ』の作曲中、次第に明を失って畢世の努力で辛くも完成した時は、全くの盲目になっていた。
「夜の昼につぐごとく、わが悲しみは喜びにつぐ……」
と書いて、最後のペンを投じたのは、彼が、六十六歳の時であった。
私は、こういう話の数々を、本当にひとごとでなく思いつづけた。お琴の宮城道雄氏の、あの気魄のある生き方を、何度思い起こしたか分らない。
幸いにして馬琴と私とは、百二、三十年の違いがあった。医学の格段の進歩があった。東大分院の名医たちが、ベストを尽くしてくれた結果、右眼が、わずかに物の役に立つ間に、先ず左眼の手術をすませ、つぎには、その左眼をたよりにして、残る右眼を手術した。元より、如何な名医でも、青春二十歳のように、蟻の這うのまで見えるというわけには参らない。しかし、凸レンズの力を借りれば、日常生活には、どうにか困らない。
馬琴の視力が続いたら、八犬伝以上のものを書いたかどうか知らないが、バッハやヘンデルは、さらに幾多の名作を残したことは疑いない。