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まつのやろはち
松のや露八
吉川 英治
「サンデー毎日」1934(昭和9)年6月3日~10月28日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 125,597 字 · 253 页
四
四
沼の凪みたいな哀傷に暮れていた土肥家では、まだどの部屋にも燈火は点いていないはずだった。だのに、そこだけ蝋燭の光が揺れているのだ。そして、どこからか、
(泥棒――)
風のような声が、それを外から土肥家の人々へ教えて行ったのである。
半蔵も、鉄之丞も、愕然とした顔を持って、八十三郎の部屋へ駈け集まった。むろん、八十三郎は、誰よりも早く、誰よりも血相を変えて来ていた。
「誰だッ」
襖も外れそうな勢いで、真っ先にそこを開けたのも彼だった。眼を射られたような声がそれとともに後の人たちの口から走った。書架も机の抽斗も、押入の行李まで、大風の跡みたいに掻き廻されているではないか。狼藉にとり散らされた反古を踏みつけて、腕にも、反古の綴物や、手紙や、蘭書らしい本などを、一抱えほどもかかえている眼の鋭い与力風の男と、一人の町人とが、手に蝋燭を持って、家人の殺到にも、かくべつ、驚いた顔もせずに平然と立っているのであった。
「此方は、南の与力、鈴木藤吉郎じゃ、これにおるは、小倉庵の長次――」
こう爽やかに名乗られると、八十三郎の顔いろは、見るまに、蒼じろく冴えてしまった。