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まつのやろはち
松のや露八
吉川 英治
「サンデー毎日」1934(昭和9)年6月3日~10月28日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 125,597 字 · 253 页
壁
一
「…………」
格子を、あらく開けた。
お蔦は、止めなかった。
もう云う文句がないので露八は困った。戸外へ出ると、いきなり冬の月と寒風が顔に貼りつくように感じるのである。
「後悔するなっ」
ぴしゃっと、格子を閉めた。しかし、のぞいて見ると、お蔦は、炬燵の方へ足を入れて横になっていた。
「やいっ――」
たまらなくなって、露八はとうとう、博多仁輪加の文句をそのまま、格子の外から呶鳴ってしまった。
「止めねえか。――お蔦っ、止めるなら今のうちだぞ」
壁
一
河骨は、抜いて捨てても、いつかひとりでに水に根を下ろして咲いている。お蔦は、あの泥水を好いて咲く黄いろい河骨の花だった。
「ああ、せいせいするよ。あんな、薄野呂がいなくなって」
亭主の露八を、突き出して、がたがたと、戸を閉めて、その晩は寝た。
こうした性の女に、たまたまの独り寝は、負け惜しみではなく、ほんとに伸び伸びとするらしかった。枕を外して、色も慾もなく寝たのだった。
だが、翌る日は、遅い風呂から戻ると、もう必死な目的であるように、化粧を凝らして、座敷着の帯つきを気にして、茶屋のかかるのを、長火鉢のそばで、朱羅宇を置いたり捨てたりして、待ち焦がれている。