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まつのやろはち

松のや露八

吉川 英治

「サンデー毎日」1934(昭和9)年6月3日~10月28日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 125,597 字 · 253 页

青空文庫

時雨風呂

一

「そう云うなら勝手にしたまえ」

「見ておれ」

彼が、大刀を抜こうとすると、

「武市さん、およしなさいよ」

笛のお菊ちゃんが、後ろに来ていた。二人は、この浜中屋の娘とは、顔なじみらしく、

「や、おまえ、どうしてここへ来たのだ」

お菊ちゃんは、眼に、怨をふくんで、

「桂さんも、桂さんじゃありませんか。黙って見ているなんて――」

「でも、半平太が、ああ云い出したら、肯きやせん」

「肯けないなら、私が、お対手になりましょう。露八さんを、斬りなどしたら、私が、承知しないからいい」

「これは、驚いた。お菊、その男は、おまえの知人か」

「ええ、私の恋人」

「正気か」

「半平太さんや、小五郎さんのように、お酒の上で云うのではありませんよ」

時雨風呂

一

「ちょっと飲もう。お菊の愛人とあれば、仲直りをせずばなるまい」

桂の云い出しで、四人は、神明裏の更科へ入った。

「私、お蕎麦は食べたくない。私家までいらっしゃいよ」

お菊ちゃんは、そこの門口で、渋ったが、

「贅沢を云うな。それに、お前の家へなど行ったら、金がかかっていかん」

と、武市が引っぱり込んだ。

しかし、更科の二階は、芝浦の海が見えて、清楚だった。