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まつのやろはち

松のや露八

吉川 英治

「サンデー毎日」1934(昭和9)年6月3日~10月28日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 125,597 字 · 253 页

青空文庫

二

「なぜ?」

「弟に会えなければ、俺は、帰るよ。実は、浜中屋のお菊ちゃんと、穴守の磯茶屋で会う約束がしてあるから」

「女など……」

渋沢は、歯痒い顔をした。軽蔑する以上の愍情がわいて、腕ずくでも、この男を鞭撻し、発奮させて、有為な武士に仕立ててやらねばならぬと思った。それは友情だ、国家のためだと考えた。

で、涙を流さんばかりに意見した。時勢の帰趨を説き、皇道を説き、またこの機運に乗らなければ、生涯の悔いを青春に回顧しなければならないと云った。

「さ、行こう」

「…………」

「僕に従いて来たまえ。京都は今、旋風の中心だ、江戸のような惰気や、自暴はない。もりあがる力が大地にも感じるぞ。君の考え方もきっと変わる」

「…………」

渋沢の熱心には衝たれながら、露八の頭には、お菊ちゃんだの、お喜代だの、お蔦だの、女たちの影が映して決意を躊躇わせた。

渋沢は、焦れったそうに、彼の腕を、自分の腕へ捲きこんで引っ立てた。

「第一、江戸へ帰れば、早晩貴公も、八十三郎の連累として、召捕られる。また、どの顔さげて、江戸の街を、その頭で歩けるか――」

「それは、歩けない……」

「そういう良心もあるくせに。