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まつのやろはち

松のや露八

吉川 英治

「サンデー毎日」1934(昭和9)年6月3日~10月28日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 125,597 字 · 253 页

青空文庫

三

宿場へ着くたびに、駕の中の様子をのぞく、そのうちに初めて、

「水が欲しい」

と、半死の客がいう。

それから、

「俺はどうしたんだ?」

と、訊くので、理を話して聞かせると、当人は少しも知らなかったように驚いている容子であった。その晩は、体が痛いといいだしたので、安宿へ医者を迎えると、医者の方が気を失うほどな重傷なのであった。しかし摺り傷や打撲傷で、生命にべつだんなことはない。

「うーむ、うーむ……」

露八は一晩中うなっていた。その重態を乗せて駕屋は翌日も急ぐのであった。そういう長藩の将校の命令であった。一日もはやく京都から遠隔の地へ持って行って、近江境を越えたら悠りとしてもいいと云われていたのである。

露八は、自分の身装が、いつのまにか、小袖と袴にくるまれているのを、三日目になって気がついた。驚いたことには、小袖の紋が、土肥家の定紋であることだった。それから、旅籠代や医者代を、駕屋が払っていたが、その袂を探ってみると、金と印籠が忍ばせてあった。

「やっ、八十三郎のだ、弟のだ。この印籠も、この着物も。……オオ、弟の肌のにおいがする」

袖に顔を当てて、露八は、家の定紋を泣き濡らした。