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まつのやろはち

松のや露八

吉川 英治

「サンデー毎日」1934(昭和9)年6月3日~10月28日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 125,597 字 · 253 页

青空文庫

痘痕志士

一

「えっ?」

疑う眼を、渋沢は、笑って、その背をどやすように、叩いた。

「上がりたまえ。まあ、上がりたまえ!」

痘痕志士

一

「そう、恐縮されては、自分も困る。まず一献」

と、渋沢は、くだけて、

「今も申した通り、金子は、差し上げたつもり、ご返却などしていただこうとは思ってもおらぬが、後で気づくと、あの金入れの中には、他人に見られてはちと都合の悪い書付二、三通と、自分の印形も入っている。それだけを、実は、お返し願いたいものと思い、しばしばお住居にまでお訪ねした次第ですが」

「いや、何とも、はや」

庄次郎は、赤面しながら、頭を掻いた。

「ここで、お目にかかったのは何よりだ。あの書付と印形だけを、お戻し下さらんか」

「もとより、お返し申さねばならないが……実は、その……」

「どうなされたか」

「ただ今、ここには、持っておりませんので」

窮したあまり彼は一時遁れを云ってしまった。ほんとは、お蔦が、金ぐるみ持って出て、いまだに帰って来ないのであったが、堅人の渋沢栄一に、そんな女の話はしにくいし、またあまり無責任のようで、書付や印形まで紛失したとは云えなかった。

「四、五日うちに、必ず、私の方からお届けしますが」