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まつのやろはち
松のや露八
吉川 英治
「サンデー毎日」1934(昭和9)年6月3日~10月28日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 125,597 字 · 253 页
あいだに、しいんと解けないものが氷のように張っていた。
「…………」
露八は、うしろへ手をのばして、煤黒い行燈を膝へよせた。カチッ、カチッと燧石の青い火がとぶたびに、お蔦の白い横顔が眸に入る。
「……俺は、何もおめえに云うことはねえぜ」
露八は、やっぱり、根負けして、そんなことを云った。しかし、お蔦はまだ黙りつづけていた。――その気持が露八にはわからない。
わからないと云えば、どうして、突然、京都へなどやって来たのか、また、自分の居所を知ったのか。
(浮気女め。もう、てめえなどの甘手にのるか。てめえのためには……)
と露八は胸のうちで、いつぞや、お里からさんざんに云われた皮肉を思いだしていた。そして、ひとつの苦行にかかっているように、むッつり顔を作っていた。
だが、半刻も、黙り合っている間に、彼の云いたい恨みも、お蔦の詫びたいことばも、ひとりでに声なく云い合ってしまって、顔を見た途端の憤りは、燃え殻のように、心の隅で冷めてくる。半歳でも、ひとつ衾に寝た女というものには、どうにもならない強味が向うにあるような気持さえ、その後では起こってくるのであった。
くすりと、ふいに、お蔦が笑った。