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まつのやろはち

松のや露八

吉川 英治

「サンデー毎日」1934(昭和9)年6月3日~10月28日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 125,597 字 · 253 页

青空文庫

あれ、酔っぱらい、どこへゆくの」

酔っぱらいが、酔っぱらいを、お侠な声で呼びたてていた。

露八は、すぐ立って、

「あ、お蔦だ」

お吉は、揉む肩を失って、畳を、たたくように、撫でまわしていた。

「じゃ、旦那、お寝みなさいませ……」

気がついて、露八は、台所から出てゆくお吉の後ろへ、

「駄賃は、一緒にやるよ」

「とんでもない」

と、お吉は、腰障子を閉めた。

表からはもうお蔦の姿が、酒の香と一緒にあがってきた。壁に手を這わせて蹌々と入って来るのである。崩し島田に裾を曳いているので、堅気の時よりはずっと背がたかく見え、そして、この女には、どういう身装よりもこうして泥水へ白鷺のように脚を入れている姿が、いちばんいるところにいるらしく見えるのでもあった。

「あらっ?」

開けっ放しの格子を振り向いて、お蔦はまた、とんと、片足を下駄のうえに下ろしながら戸外をのぞいた。

露八には見えないが、外には誰かいるらしい。お蔦を送ってくれた客かも知れない。礼を云おうと思って、露八も首を出しかけると、お蔦は、邪けんに彼を押し除けて、

「嫌な河合さんだよ! なぜ入らないのさ! あたしの家だのに、誰に遠慮を――」