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まつのやろはち

松のや露八

吉川 英治

「サンデー毎日」1934(昭和9)年6月3日~10月28日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 125,597 字 · 253 页

青空文庫

三

「そこまで、送って行きましょうね」

長襦袢のまま部屋を片づけて、お蔦は行燈に向かって、燧打石を磨っている。

ふと、庄次郎は、新妻の照子をおもい出した。行儀作法がよくて、文字があって、貞淑で、申しぶんのない良妻が、彼にはどうしても好きになれなかった。

その照子と、父と、やぶ蚊が待っている家庭を思うと、庄次郎は、また、坐りこんでしまった。

行燈がともる。

隅で着物を着ていたお蔦が、

「庄次さん……」

もう、女は、呼ぶのからして言葉が違っているのだ。甘え声で、

「ちょっと、手を貸してよ」

「なんだ」

「帯の端を、ぎゅっと、締めてくれない?」

庄次郎は、むっと、面を膨らしていた。

「嫌なの」

勝手にしろっ――と思いながら彼ははっと手を出して、

「こうかっ」

「あ、痛。そんなに強く締めたら、お腹がちぎれてしまう」

「先に、帰るぞ。俺は」

「ホホホ、ほんとに、怒ったのですか。ごめんなさい、堪忍してね。……それから、私を、捨てないでね」

男の頬を、両手で持って、口紅のとれた唇を、もいちど、前へだした。

三

亭主は、こはだの鮨を売りに歩いている、階下には、内儀さんが、小僧相手に、こはだの小骨を、毛抜きで抜いていた。