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まつのやろはち

松のや露八

吉川 英治

「サンデー毎日」1934(昭和9)年6月3日~10月28日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 125,597 字 · 253 页

青空文庫

間の悪そうな顔をして、梯子段を降りてきた庄次郎へ、手を拭いて、

「旦那、しがらき茶屋へ、お忘れ物をしたでしょう」

「いや、べつに」

「でも、これが、届いております」

渋沢栄一の財布だった。

連中が置いて行った物だろう。彼らの肚はすぐ覚れた。庄次郎は苦いものを噛んだように、

「そうか」

袂へ入れた。

追いつくように、お蔦も降りてきた。そして何か、鮨屋の内儀さんに囁いていたが、やがて、

「後生――家へは内緒」

立ちかけると、

「また、飽きないようにね」

内儀さんは、背中を打って、下駄をそろえた。

その日が、口切りで、二人の下駄はその後三日目、四日目ごとに、鮨屋の土間に脱がれていた。

「浮気性という女だ、もう逢うまい」

何度も、心では省みながら、お蔦の誘惑に勝てなかった。

新妻の照子は、うすうす、気づいているらしい。だが、貞淑のいかめしさを崩さない婦人だった。それがまた庄次郎には、面白くない。いつまで経っても婚礼の夜の間違いが、あの不満が消えないのが禍根だ。時には、不愍と思おうと努めても、より以上、自分の過失が不愍であったし、何となく、先でも打ち解けきれない様子が、日ましに、家庭を冷やかにして、