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まつのやろはち

松のや露八

吉川 英治

「サンデー毎日」1934(昭和9)年6月3日~10月28日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 125,597 字 · 253 页

青空文庫

庄次郎はくるくる舞いして、垣の下を横へ添って勢いよく逃げて行ったが、曲がった途端に、蓮池の中へ飛びこんでしまった。

闘鶏師の連中が、そこを駈け抜けるとすぐ、蓮根のように真っ黒な半身を出して、彼は首を廻して四方を見ていた。ヌマの中へ落とした刀を、足の指でそっと探してみたが分からない。ちン! と二つほど水で洟をかんで、のっそりと、陸へ上がった。

「野郎っ、あんなところにいやがる」

引っ返してくる跫音に、庄次郎はまた、逃げだした。濡れた浴衣の裾が脛にからみついて、とても、長途はむずかしい。秋葉神社の方へ向いて、半町ほど走ると、粋な船板塀が見え、天水桶があった。

ひょいと、それへ乗って、塀のミネから中へ転げ落ちた。地ひびきに驚いたものとみえる、風呂場の竹窓から湯気の立っている男の半身が、

「誰だっ?」

「は」

「盗ッ人にしちゃあ、不器用な奴だ。勢吉ッ、灯を貸せっ」

提灯を持って、風呂番の勢吉が、薪小屋から出て来た。浴衣を引っかけてその後ろに立ったのが今の男で、この家の主人らしく、四十がらみの苦み走った町人だ。提灯には、朱文字で、

おぐら庵

と、書いてある。

桐壺の客