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まつのやろはち

松のや露八

吉川 英治

「サンデー毎日」1934(昭和9)年6月3日~10月28日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 125,597 字 · 253 页

青空文庫

「出られねえ事情なんでさ。――で、昨夜も彼女と相談したんですが」

「へ……、もう相談ですか、いいなあ、男と女ってえものは」

「老婆が、笑ってら。もうそう揶揄うのは勘弁してくれ。……ところで永い間、お世話になりやしたが、今日は、お暇をしますぜ。借金を払いますから、勘定書をこさえておいておくんなさい」

「どうしてね……せっかく、住みついたものを。……流しができないなら、この辺に小さな借家でも見つけちゃどうですか」

「ありがと。――だがどっちみち、この土地ゃあ、あっしの肌にあわねえ気がする。なにも、京都がじゃあねえが、今、この御所のお膝下を、わがもの顔して、志士でなきゃあ人間でねえような面をして歩いている奴が、どうにも、虫に触りましてね、ハハハ……いけませんやどうも……。がらにもねえ、へんてこな血の気が沸きやしてね」

口に含んだ嗽い水を、ゴロゴロと喉で鳴らしながら、眩げに、青空へ向けて顔をひっくりかえしていると、

「あなた――」

お蔦の声が、梯子段の中途でする。

あわてて、

「がぼっ……」

と水を吹きだして、

「今行くよ」

ざぶりと顔を洗って、拭きながら、二階へゆく。