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まつのやろはち
松のや露八
吉川 英治
「サンデー毎日」1934(昭和9)年6月3日~10月28日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 125,597 字 · 253 页
「そりゃあ、知ってたに、決まってまさね。あれほどな男だもの。そして、妹はあなたのことを、くそ味噌に悪くいうけれど、榊原はどうせ腐れ縁だ、なるものなら夫婦になれって、しみじみと、云ってくれたし」
「やっぱり、江戸者だ。……江戸にも、あのくらいな侍が、うんといてくれりゃあ……」
四ツ辻へ来た。
お蔦は、振り顧って、
「露八さん、そこで、方角はどっちへ行くの」
「そうだ、行く先の相談はまだしていなかったっけ。――どこでもいいや、人間の行く先に飯粒はくッ付いて来ら。……だが、斬ったの、斬られたの、攘夷の倒幕のと、かんぬき差しが、威張りちらしていねえところへ行こうじゃねえか。……江戸っ子が、そう肩身の狭くねえところへよ」
「じゃあ、思いきって、遠くへ――」
「よかろう」
「長崎でも」
碧空だし、陽もあたっているのに、街道から淀の方には、照り降り雨が、虹のようにこぼれていた。
稲荷裏
一
不二形に盛りあげた埋め火の白い灰には、灰掻きの目が正しく描いてあった。一かどの茶人の嗜みでもあるかのように、煤竹の炭籠に火箸はつつましく寄せてあるし、描板のうえには茶布巾がきちんと畳みつけてある。