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まつのやろはち

松のや露八

吉川 英治

「サンデー毎日」1934(昭和9)年6月3日~10月28日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 125,597 字 · 253 页

青空文庫

「では、今日にも、頂戴して参れ」

「はい」

間もなく、半蔵は出仕の時刻であり、鉄之丞も、親類へ廻るといって、二人とも出ていった。

重助が、その後で、

「若旦那、味噌汁が冷めましたが」

「飯はいらん」

土肥庄次郎は、また、自分の部屋に吊りッ放しの蚊帳の中へ入ってしまった。

腕を拱む。

いかにも、腐ったという恰好である。

「あんなッて、はずはない。あんなってはずは……」

ゆうべの失敗を思うと、涙が出そうだった。半生の信念に、大きな動揺をうけての溜息だった。叔父の前では、我慢していたが、じつはまだ、ゆうべ、したたかに投げつけられたときの腰の挫骨が、ずきずきと火てッて、ひどく痛い。

不思議でならないのだ。どうして、あんなぶざまに投げられたろう。十三年間の道場通いを考えると、口惜しいよりは、情けない。しかも昨日は、師から免許皆伝の目録を授けられたばかりの帰りだ。

「何をして来たのか、十年の余も――」

考えざるを得なかった。それだけの歳月を、寒稽古の、土用試合のと、竹刀でぽかぽか撲られた上、一ツ橋から小石川の果てまで、往復の足数だけでも、何千里歩いたことになるか、容易な根気で貰った免許皆伝ではない。