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まつのやろはち

松のや露八

吉川 英治

「サンデー毎日」1934(昭和9)年6月3日~10月28日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 125,597 字 · 253 页

青空文庫

「お客が? ……はてな、どんな人だ」

「若いお武家」

「武家は苦手だ。断わってくれ」

「駄目だよ、先で、姿を見ているんだもの、留守とも云えないだろう。きっと、ご祝儀でもくれるのかも知れない」

「嫌だなあ」

まったく、辛そうだった。

夕顔だの、松風だの、部屋の名は源氏の帖の名をつけてある。桐壺は、離れだった。侍と云えば叔父ではないか、榊原健吉ではないか、と臆病が先に立つ。

怖々、濡れ縁の端から、中を覗いて、

「ええ、当家の、帳場の者でございますが……」

ひょいと見ると、客は渋沢栄一だった。白っぽいうす菊花石が、ひと粒ひと粒笑っていた。

「しまった!」

庄次郎は、頭を抱えて、逃げかけた。渋沢は、縁から手をのばして、その腕をつかみ、以前よりも、親しみのある声で、

「君っ、なぜ逃げるのか」

「面目ないっ」

「どうめされたのじゃ、その姿は」

「今日のところは、お慈悲だ。――知らぬ他人と思って」

「水くさい。まあ、話そう」

「いや、そのうちに……そのうちに、きっと、借用の金子も、ご返済いたすによって」

「金子じゃと……。なんじゃ、あれは、その節、お祝いの寸志として、貴公へ進呈したものじゃないか」