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まつのやろはち

松のや露八

吉川 英治

「サンデー毎日」1934(昭和9)年6月3日~10月28日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 125,597 字 · 253 页

青空文庫

四

男は、路地の角から何か云って、立ち去った。――いつまでも見おくってから、お蔦は、格子を閉めた。

「誰だい、今のは」

露八が訊くと、茶の間に立って、厚帯の間から、小菊紙だの、鏡だの、櫛たとうだのを、ぽんぽんと出してはそこらへ抛り散らしながら、

「わたしの情人さ」

四

「ふーむ……」

露八は、自分の顔の置場に困って、お蔦の捨てた小菊紙や鏡をひろい集めていた。

その背中へ、帯を解く。

座敷着を脱ぐ……

「ちょいと」

手をのばして、

「彼衣を取っておくれよ」

灯のない次部屋の壁に掛けてある女柄の丹前を指さすと、露八は、ひと抱えも集めていた帯や道具を、畳へたたきつけて、お蔦の顔の前へ顔を突き出して呶鳴った。

「箱丁じゃねえぞっ」

「…………」

眼元の酔いを、お蔦は、ちょっと蒼くしたが、ふいに、長襦袢の細長い体をしなやかに曲げて笑い転けた。

「ホッ、ホッ、ホホホ。怒ったよ。まあ、甚助を起こしてさ」

「あたりめえだ」

「そうですかよ」

足の先で、帯を、つぎの部屋へ押して行って、お蔦はさっと丹前を引っかけた。きゅうっと、伊達巻を鳴らしながらまた、明りの輪の中へ来て坐った。そして露八が支度しておいた銚子を燗銅壺へ入れ、それの燗く間を、わざとらしく、鬢の毛を掻き上げている。