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まつのやろはち
松のや露八
吉川 英治
「サンデー毎日」1934(昭和9)年6月3日~10月28日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 125,597 字 · 253 页
桐壺の客
一
一
閣老の阿部伊勢守に取り入って今の財産をこしらえたのだと云われる小倉庵長次は、割烹の亭主だった。向島きッての宏壮な普請が出来たのも近年で、自分は、隣りに、小ぢんまりと、住んでいた。
侠客肌で、才気があって、江戸前で――誰にも人好きのされる肌合いが長次という人間だった。
彼の住居へ逃げこんだ翌日から、庄次郎は、小倉庵の帳場に坐っていた。もちろん、庄次郎の方から、事情を話して頼んだことではあろうが、長次も、そういう世話は、いたって好きな男だった。
「奴ら、四、五日この辺をうろついていたが、小倉庵にお前さんがいちゃあ、手が出せねえので、このごろは、消えて失くなったらしい」
お帳場さんの庄次郎の側へ来て、亭主の長次が、笑うのだった。
「思いがけないお世話に相成りまして」
「ははは。料理屋の帳場に、お前さんの言葉じゃイタに付かねえ。そんな固い辞儀は、よしッこさ」
「恐れ入ります」
「人助けは、あっしの道楽だ。恩のヘチマのと、義理枷があっちゃ、面白くねえ。お前さんの身の振り方がつくなら、いつだって、黙って、出て行っておくんなさい。また、いてくれるなら、十年はおろか、一生いたって、小倉庵の屋台ぼねだ、食いつぶされる心配はありませんぜ」