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まつのやろはち

松のや露八

吉川 英治

「サンデー毎日」1934(昭和9)年6月3日~10月28日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 125,597 字 · 253 页

青空文庫

千鳥聴き

一

お菊ちゃんは露八のそばへかたまるように寄り添って、

「今日は面白かったね」

「私は、ちっとも、面白くなかった。命拾いをしたようなもんだ」

「来月の十日ごろ、また、斧四郎旦那やお喜代ちゃんを誘って、江戸川尻へ、千鳥を聴きに行こうじゃないか」

「もう真っ平だ」

「そんなことをいわないで、交際っておくれ。……露八さん」

と、お菊ちゃんは真面目な眸で、じいっと見つめながら、膝の上の手を、そっと、露八の手へ重ねた。

「嫌?」

何だか拒みきれないものを感じて、露八は、約束を与えてしまった。

千鳥聴き

一

炉開きの忙しい二、三日を済ますと、浜中屋の女将は、骨折り休めに、熱海に入湯に出かけた。田之助一座の女形の岩井芙雀が先へこっそり行っていた。お菊ちゃんも、誘われたけれど、

「こんどは、留守をしています」

と、養母だけを出立せた。

十月初旬は、いつも柳橋の霜枯れで、女将の留守中はことに馴染客でもよほど親しい客でなければ上げなかったので、その間は、奉公人にも、骨休みだった。

寒々と、時雨がして、宵から戸を卸していた。――その晩だった。生姜市の夜に約束した、桂小五郎と武市半平太が、傘もささず、痩せ細った若い侍を連れて、訪れたのは。