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まつのやろはち

松のや露八

吉川 英治

「サンデー毎日」1934(昭和9)年6月3日~10月28日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 125,597 字 · 253 页

青空文庫

凛と澄ましきっているので、訊くのもなんだか憚られたが、

(何か深い理がある)

と、露八も無言のうちに覚っていた。で、後にして来た船の方を、つい、歩みながら二、三度振り向くと、

「見るんじゃありませんよ」

お菊ちゃんは、袖を引いて、たしなめた。

「なぜ?」

すかさず訊ねると、

「でも、他人様の秘密はね」

と、すこし首を傾げて云った。そして露八の袖口からそっと手を忍び入れて、

「温めてよ」

「冷たい手だなあ」

露八は、自分の乳の辺で、彼女の凍えた手をじっと温めてやった。

「――誰にだって秘密はあるものだし、あってもいいものじゃないの。え……露八さん」

「…………」

「私など、他人から見れば、倖せだと云うけれど、お養母さんが違うし、自分はいつ死ぬかわからない病身だし、笛なんぞを友達にしているのをみても、つまらない人間だということがわかるでしょう。……だから私にだって、秘密の一つぐらいはあってもいいと思っているのよ」

「…………」

「ね、露八さん」

「うむ」

「笛なぞ吹いていられないような女に私をしてくれない? ……」

「…………」

露八はつい後方にばかり気を奪られているのだった。