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まつのやろはち

松のや露八

吉川 英治

「サンデー毎日」1934(昭和9)年6月3日~10月28日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 125,597 字 · 253 页

青空文庫

「路銀は、お持ちですか」

それまで訊いて、すべてに安心すると、お菊ちゃんは、これから夜の明け方に、お大師様へ詣って、穴守で朝飯をたべて、ゆっくり一昼寝した上、陸道から江戸へ帰ると云った。

桂は、何か、露八に気をおくらしい気振りで、

「では、どうか、お二人はひと足先に」

と、促した。

「露八さん、行きましょう。――手を取っておくれ」

お菊ちゃんは、彼に手を預けて、船から岸へ上がった。そして、もいちど上から、

「じゃあ、道中、気をつけていらっしゃいね。――桂さん」

桂は、船に立って、

「それよりは、癆咳を癒さねばいかんぞ。今度会うまでに、もっと、肥っておれよ」

「ホホホ。露八さんみたいに」

「ウム。――坊主殿も、おさらば」

何が何だか判らないずくめであったが、露八も、つきあいに、

「左様なら――」

海辺の堤の上を、露八とお菊ちゃんと、まだ暗い雑草の霜をふんでとぼとぼと歩きだした。酒の醒めたせいか、急に風の冷たさが身にこたえて、水洟が出てきた。

ゆうべは、一声も聴かれなかった千鳥が、今になって、暁闇の空をかすめながら、海苔柴朶の洲へ、啼いて落ちた。

(おかしい?)

どう考えても露八には解せないお菊ちゃんの行動だった。