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まつのやろはち
松のや露八
吉川 英治
「サンデー毎日」1934(昭和9)年6月3日~10月28日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 125,597 字 · 253 页
彼女が、笑ったのすら露八には意外だったのに、くの字形にしていた体を、ついと、側へ摺り寄せてきたのである。あわてて、むずかしい顔をもっとむずかしくしてみても何の効もなく、お蔦は、彼の膝へ手をかけて、
「驚いた?」
と、まるで、こうした感情を遊戯するように云う。
と――もう後は男にしゃべらせなかった。
「かんにんして下さい、え、あなた。腹の癒えるまで、わたしを打ってもかまわない、殺しても――ええ殺してもかまわない」
露八が、口をうごかしかけると、胸へ迫って、彼の肩を、揺すぶった。
「だけど、あなただって、よくないことがあるんだもの。妹のお喜代に、惚れてたでしょう。わたしゃあ、前から、ちゃんと知ってはいたけれど、じっと、胸で抑えていたんですよ。……だが、やっぱり女だから」
「ば、ばかを云え」
「だめ、わたしの眼は、そんな凡くらじゃありませんよ。だけど、よそう、私だって、あんなことしたのは、重々悪い。しみじみと、別れてから、分かった。……やっぱりあなたのことを忘れられないのだもの」
「よしてくれっ、うるせえ」
からむ手を、振り離して、
「去った女に、用はねえ、帰れっ」