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まつのやろはち

松のや露八

吉川 英治

「サンデー毎日」1934(昭和9)年6月3日~10月28日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 125,597 字 · 253 页

青空文庫

癇癪玉

一

「うっ……こ……こん畜生」

水へ溺れるときのように、露八は、ふいに首を振った。そして、一人の兵のだんぶくろにすがって、ふらふらと立ち上がった。

「畜生」

相手の胸ぐらをつかんだのである。反撥力に歪んだ顔が、凄いと見えるよりは、おかしく映ったものとみえて、烏賊隊は、どっと笑った。

「どうするんじゃ?」

胸をつかまれた薩兵は、胸で、ぐいぐいと、彼を押して、

「こやつ、どうするんかっ」

「ど、どうにでも、しやがれっ」

「こうかっ」

どんと、突く。

露八は、仰向けざまに陥ち込んで泥田の中から、首だけを出していた。

癇癪玉

一

蹉ノ森にいた薩軍の陣屋で、そのとき、喇叭の音がきこえた。急に集合の令でも下ったのでか、烏賊帽子の薩兵たちは、

「あ、や?」

なにか、国訛りの早言葉を、がやがや交わし合っていたと思うと、露八へは、二名だけを残して、にわかに駈けだして行った。

「やいっ、待てっ」

泥田の泥に酔っぱらったように、田の底から、露八は、泥亀みたいな黒い顔を上げて、喚いた。

「――やいっ、逃げるのかっ。俺はまだ生きてるぞ。生かすとも、殺すとも、片づけてから行けっ。薩摩の奴らは、野糞を垂れても、尻をふかねえのかっ、やいっ」