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もめんいぜんのこと
木綿以前の事
柳田 国男
木綿以前の事「女性」1924(大正13)年10月、何を着ていたか「斯民家庭」1911(明治44)年6月、昔風と当世風「彰風会講演」1928(昭和3)年3月、働く人の着物「旅と伝説」1936(昭和11)年7月、国民服の問題「被服」1939(昭和14)年5月、団子と昔話「ひだびと」1936(昭和11)年3月、餅と臼と擂鉢「社会経済史学」1934(昭和9)年1月、家の光「家の光」1926(大正15)年2月、囲炉俚談「文学」1935(昭和10)年3月、火吹竹のことなど「知性」1939(昭和14)年4月、女と煙草「ひだびと」1939(昭和14)年2月、酒の飲みようの変遷「改造」1939(昭和14)年2月、凡人文芸「短歌研究」1934(昭和9)年2月、古宇利島の物語「短歌民族」1933(昭和8)年5月、遊行女婦のこと「俳句研究」1934(昭和9)年4月、寡婦と農業「農業経済研究」1929(昭和4)年10月、山伏と島流し「俳句講座」1932(昭和7)年8月、生活の俳諧「第一高等学校講演」1937(昭和12)年12月、女性史学「実践女学校講演」1934(昭和9)年7月、女性史学「民間伝承」1936(昭和11)年3月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 177,586 字 · 348 页
カナゴキはすなわちカネイナコキの略称であって、那須その他でセンバと謂ったものと同じである。そうかと思うと越後などは、もう今から百三四十年も前に、すでにこのセンバを使っていた村もあった。『温故之栞』(巻十)にはこの国の水田生産のことを記して、以前は割竹五六本を木の台に立て列ね、稲を七八茎ずつ挟んで扱いた故に、丈夫一日の辛苦をもって僅かに百五十把の籾を扱くのみであった。寛政の初年に阿波からセンバという機械を直江津に持来る。一日に千把の稲を扱く故にこの名があった。本名を何というか知らぬと謂っている。東北地方では福島県南部の、県道交叉点に臨んだ一旅亭で、その越後から同じ機械を、売りに来ている行商人の一群に出会って、詳しい問答をしてみたのは、つい今から十五六年前のことであった(『郷土研究』四巻八号)。すなわち運賃雑用のあまりに多くかかる販売法であったために、まだこの頃までこの地方へは普及し得なかったのである。鹿児島県の種子島などでも、その少し以前に旅行をした草野教授の話では、まだ割竹の稲扱をもって数茎ずつの籾を落し、その籾を臼に入れて脱から精白までを一続きにしていた。