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もめんいぜんのこと

木綿以前の事

柳田 国男

木綿以前の事「女性」1924(大正13)年10月、何を着ていたか「斯民家庭」1911(明治44)年6月、昔風と当世風「彰風会講演」1928(昭和3)年3月、働く人の着物「旅と伝説」1936(昭和11)年7月、国民服の問題「被服」1939(昭和14)年5月、団子と昔話「ひだびと」1936(昭和11)年3月、餅と臼と擂鉢「社会経済史学」1934(昭和9)年1月、家の光「家の光」1926(大正15)年2月、囲炉俚談「文学」1935(昭和10)年3月、火吹竹のことなど「知性」1939(昭和14)年4月、女と煙草「ひだびと」1939(昭和14)年2月、酒の飲みようの変遷「改造」1939(昭和14)年2月、凡人文芸「短歌研究」1934(昭和9)年2月、古宇利島の物語「短歌民族」1933(昭和8)年5月、遊行女婦のこと「俳句研究」1934(昭和9)年4月、寡婦と農業「農業経済研究」1929(昭和4)年10月、山伏と島流し「俳句講座」1932(昭和7)年8月、生活の俳諧「第一高等学校講演」1937(昭和12)年12月、女性史学「実践女学校講演」1934(昭和9)年7月、女性史学「民間伝承」1936(昭和11)年3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 177,586 字 · 348 页

青空文庫

四

独り俚俗の友であった俳諧の記録だけが、偶然にこれを我々には語っているのであった。

四

例は幾らもあろうが私はここに山伏のことを考えてみる。明治の新たなる政策で修験の立派は否認せられ、彼らの一半は法を慕うて忍耐して僧となり、他の一部分は御社の威徳を忘れかね、還俗して平の神職に編入せられた。関東・奥羽の田舎には、堂を抱えたままで農民になり切った者も少なくはなかったのである。是がただ職業の消滅によって、事もなく社会の他の組織に、融合しまた同化してしまうには年処を要したはずである。山伏は血縁をもって相続した故に、彼らの伝統の記憶は濃厚であり、その数もまたなかなか多かった。現にその気風はよきにつけ悪きにつけ、今も片隅には遺っている。過去を顧みて現在を解説しようとする者が、この失われたる事実を詳かにすべきは当然である。しかも私などは僅かにケムペルの『江戸参府紀行』によって、東国の下級修験等の常の日の生活を知り、さらに溯っては能の狂言の何山伏の数篇を見て、辛うじてこの徒の社会上の地位を察するのみである。ところがこの俳諧の連句においては、表六句を除いては何度でも彼らの生活に触れてみようとしている。