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もめんいぜんのこと
木綿以前の事
柳田 国男
木綿以前の事「女性」1924(大正13)年10月、何を着ていたか「斯民家庭」1911(明治44)年6月、昔風と当世風「彰風会講演」1928(昭和3)年3月、働く人の着物「旅と伝説」1936(昭和11)年7月、国民服の問題「被服」1939(昭和14)年5月、団子と昔話「ひだびと」1936(昭和11)年3月、餅と臼と擂鉢「社会経済史学」1934(昭和9)年1月、家の光「家の光」1926(大正15)年2月、囲炉俚談「文学」1935(昭和10)年3月、火吹竹のことなど「知性」1939(昭和14)年4月、女と煙草「ひだびと」1939(昭和14)年2月、酒の飲みようの変遷「改造」1939(昭和14)年2月、凡人文芸「短歌研究」1934(昭和9)年2月、古宇利島の物語「短歌民族」1933(昭和8)年5月、遊行女婦のこと「俳句研究」1934(昭和9)年4月、寡婦と農業「農業経済研究」1929(昭和4)年10月、山伏と島流し「俳句講座」1932(昭和7)年8月、生活の俳諧「第一高等学校講演」1937(昭和12)年12月、女性史学「実践女学校講演」1934(昭和9)年7月、女性史学「民間伝承」1936(昭和11)年3月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 177,586 字 · 348 页
二
方々の田舎にあって、それを制止した法令なども残っている。しかしそういう日に撫子を飾りにすることも空想なれば、次の句の弁慶の宮とても実在ではない。もしもそんな宮があったら鼓を打って手向けるだろうくらいなところで、この一聯の句はできたのであった。それをじみちの方へ引戻そうとして、寅の日の一句は附けられたものと思うが、なお興味はそぞろいて次の「南京の地」という句になったのである。爺の独活苅なども原因は是とよく似ている。一方に弥生の節供の鶏合せのかわりに、鸚鵡を出されたというような思い切った趣向ができると、是に立向うためにはどうしてもまた一段と頓狂な空想が、浮んで来ずにはおられなかったので、それを静かに観て引締める者がなかったのが、すなわち談林一流の花火のような結末であったろうと私は思う。
二
絵などの発達の経路も或る点までは是とほぼ併行している。当初稚なくしてまた上品な貞門の俳諧を突破して、梅翁一派の豪胆なる悪謔が進出した際には、誰しも鳥羽僧正の画巻をくりひろげるような痛快さをもって、悦び迎えざる者は無かったのであろうが、しかも百鬼夜行の路は行き究まる処があった。