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もめんいぜんのこと
木綿以前の事
柳田 国男
木綿以前の事「女性」1924(大正13)年10月、何を着ていたか「斯民家庭」1911(明治44)年6月、昔風と当世風「彰風会講演」1928(昭和3)年3月、働く人の着物「旅と伝説」1936(昭和11)年7月、国民服の問題「被服」1939(昭和14)年5月、団子と昔話「ひだびと」1936(昭和11)年3月、餅と臼と擂鉢「社会経済史学」1934(昭和9)年1月、家の光「家の光」1926(大正15)年2月、囲炉俚談「文学」1935(昭和10)年3月、火吹竹のことなど「知性」1939(昭和14)年4月、女と煙草「ひだびと」1939(昭和14)年2月、酒の飲みようの変遷「改造」1939(昭和14)年2月、凡人文芸「短歌研究」1934(昭和9)年2月、古宇利島の物語「短歌民族」1933(昭和8)年5月、遊行女婦のこと「俳句研究」1934(昭和9)年4月、寡婦と農業「農業経済研究」1929(昭和4)年10月、山伏と島流し「俳句講座」1932(昭和7)年8月、生活の俳諧「第一高等学校講演」1937(昭和12)年12月、女性史学「実践女学校講演」1934(昭和9)年7月、女性史学「民間伝承」1936(昭和11)年3月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 177,586 字 · 348 页
三
今から振返ってみると、歌がこのごろのように職業者の手に移ってきた路筋もほぼたどることができる。始めには頻々たる流行唄の移植があった。是には年とった者は附いて行くことができず、真似をしようとしても只おかしいばかりであったので、いつとなく純然たる聴手の側に立ち、後には若い者の歌うのを苦々しく思う者も多くなってきたのである。私の生家の近くに、貧しい嫁姑の二段の寡婦が住んでいた。孫の成長をたった一つの心楽しみに、日雇などをして漸うと暮していたが、その婆さんがやがて老耄をして、いつでも手を打って一つ歌を歌っているのを、面白がって私たちは聴きに往った。
酒は酒屋によい茶は茶屋に
女郎は大阪の新町に
是などもたしかにまた、遠い昔の新曲であったろう。それをこの婆さんは聴いて覚えていたのである。酒が自由になると酒宴はどこででも開かれる。そうして無検束にその酒を販がんとする女性が、わざと別種の歌を唱えて、古風な酒盛りから男たちを離反せしめたのである。酒屋が新たに興って、家の女房が酒の管理権を失ったことが、何よりも大きな凡人文芸の衰微のもとであった。
三
海辺の村々でいうと、船が遠くの湊に往来するようになって、やはり女性の歌がだんだんと省みられなくなり、男ばかりがだみ声を振り揚げて、早く酒席を狼藉たらしめることになったとも見られる