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もめんいぜんのこと
木綿以前の事
柳田 国男
木綿以前の事「女性」1924(大正13)年10月、何を着ていたか「斯民家庭」1911(明治44)年6月、昔風と当世風「彰風会講演」1928(昭和3)年3月、働く人の着物「旅と伝説」1936(昭和11)年7月、国民服の問題「被服」1939(昭和14)年5月、団子と昔話「ひだびと」1936(昭和11)年3月、餅と臼と擂鉢「社会経済史学」1934(昭和9)年1月、家の光「家の光」1926(大正15)年2月、囲炉俚談「文学」1935(昭和10)年3月、火吹竹のことなど「知性」1939(昭和14)年4月、女と煙草「ひだびと」1939(昭和14)年2月、酒の飲みようの変遷「改造」1939(昭和14)年2月、凡人文芸「短歌研究」1934(昭和9)年2月、古宇利島の物語「短歌民族」1933(昭和8)年5月、遊行女婦のこと「俳句研究」1934(昭和9)年4月、寡婦と農業「農業経済研究」1929(昭和4)年10月、山伏と島流し「俳句講座」1932(昭和7)年8月、生活の俳諧「第一高等学校講演」1937(昭和12)年12月、女性史学「実践女学校講演」1934(昭和9)年7月、女性史学「民間伝承」1936(昭和11)年3月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 177,586 字 · 348 页
三
そうしてその無識の惰性は、かなり強力なまた怖るべきものだったのである。
三
右の三つの宿題に向かっては、残念ながら私はただ片端しか答えを得ていない。未来の多くの研究者の協力を募るべく、今はただその解説の一つの方向を指そうとするのみである。俳諧または誹諧という言葉は、日本の古文学の中にも見えている。そうして勿論支那からの輸入であるが、この語この文字をあてはめた内容は、輸入以前からあったものと考えられる。二つの国の言葉の対訳が当っていたかどうかは、こういう無形名詞ではいつも問題になるが、この場合だけはそう大きな喰い違いはなかったようである。人の笑いというものの範囲は弘いけれども、俳諧が目的としていたものはその全部ではなかった。笑いの一番に下品なものは放恣、いわゆるしもがかりの秘密や欲情の満足に伴なうものであり、その最も有害なものは嘲罵であろうが、この二つのものは支那の方でも、誹諧のうちに含まれていなかったことは、『史記』に見えている東方朔の滑稽が、宮廷で行われていたというのでも察せられる。日本の誹諧も上流の文学の中にもてはやされていた。直接相手を傷つける笑いでなかったことは明らかである。