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えどさんごくし

江戸三国志

吉川 英治

「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页

青空文庫

脆くも、そう観念の目を閉じて、彼女は突然、自分の刃を自分の乳へ当てようとする。

はッと驚いた久米之丞が、刀を引いて、飛びつこうとしたはずみに、その短剣は飛魚の如く、おのれの素面へ風を切って来ました。

あぶなく顔の真ン中に穴のあくところを、身をかわした久米之丞が、ふと見ると月江はもう彼方へ脱兎――

「ちッ、畜生、逃してなるものか」

踵を蹴って追いかけることも、あまり永くはありませんでした。

疎林を抜けた途端です。

引ッつかまれた帯の端に、それが解けて、月江の体がくるくると無残に廻って倒れたかと思いますと、――どどどどッ――と足元の土が地崩れのようにメリ込んで、

「おっ!」

と、久米之丞も、咄嗟にそこの岩藤の根にすがらなかったら、奈落の谷底へ誘われたかも知れません。

「アア、あぶねえところ……」

思わずホッとつくため息。

人間の心の機微、必ずやその時は、獣情に燃えていた久米之丞も、冷やりとするのと一緒に、命びろいをしてまア好かった――と思ったことは思ったでしょう。

が――気がついてみますに、そのよろこびもホンのつかの間。かんじんな、月江の姿が消えている……。