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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
狛家の家族
ごていねいにも、わざわざ江戸から師匠づれで来ている蔵前のお客様とかが、毎日、まずい一くさりをさらッては、どッと、あたりお構いなしに笑いくずれています。
きょうは、日金山にも風がない。
ここは豆南の一角、海をへだてた大島の御神火と対して、町に湯煙のたえない熱海の湯治場。
「あれ、お嬢様」
小間使いふうの、愛くるしい女――藤屋の隠居所の二階に立って、
「ちょッとここへ、お嬢様、ちょッとここへ出てごらんなさいませ」
手拭を欄にかけて、そこから、部屋の中へ呼びかけました。
「なアに」
やさしい返辞はしますが立っては来ません。
書院の下に小机をよせて、巻紙をひろげている後ろ姿が見えるばかりで、
「――いいものが見えますから」
「私は今、手紙を書いているから駄目」
「そんな事おッしゃらないで、ちょッとここへ来てごらん遊ばせ」
「うるさいね」
と軽い舌打ちをして、
「――今この手紙を書いてしまってからネ」
と、いいふくめるように、机に向ったまま、サラサラと筆の穂を走らせている人は、まことに上品な――少しやせすぎてはいますが――線のいい美人でした。
今朝風呂場で、洗ったばかりの髪なのでしょう、やかに背なかへ流した黒髪の先を紫の布で結んでおります。