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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
官庫の闇
オイオイお蝶、いい加減にしろよ、いい加減に――。
何をつまらねエ奴に、いつまで引ッかかっているんだ――といわないばかりの鼻先を凍らせて、木蔭に、弥蔵をきめて屈んでいる。
官庫の闇
男の手招ぎに気がつくと、聞くのもじれッたいヨハンの話などは、もう耳にも入らないで、お蝶はその方へ馳け出しました。
「龍平かい?」
屈んでいた影は、しびれをきらした膝ぶしをなでて立ちながら、面をふくらまして、
「で、ございましょうよ」
「悪かったネ、遅くなって」
「お嬢さん、じょウだんじゃありませんぜ」
「オヤ、何が? ……」
「何がって、ばかばかしい、大事な約束を前にしながら、この寒空に、龍平を高野豆腐みてえに忘れッ放しでいいんですか」
「そんなに怒るもんじゃないよ。だッてね、今夜に限って、あのヨハンが私を見かけると、頻りに妙なことを言いかけて、離さないのだもの」
「あんな、生命の火がとぼり切れているキリギリスなんぞに、生半可やさしい言葉をかけると、かえって思いが取ッつきますぜ」
「ア、いやだ……そんなことを言ッちゃあ」
ぶるッと、怖そうな表情をして、男の腕に巻きついたが、その柔らかい手は、少しも真から怖そうな脈のひびきではありません。