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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
臙脂怨
そのうちに、風向きのいい地元の遊び人と、でっぷりした興行元の男が、
「おや、七刻過ぎだぜ、もう小屋の方じゃそろそろ木戸の支度だろう」
ていよく逃げ腰をうかすのを抑えて、お粂は、もう一度、もう一度と、楽屋入りの支度をのばしていよいよ負けを深めています。
そのうちにもとでが切れたとみえて、二階の降り口から下の者へ、
「あの――だれか居ないかえ」
はしごだんの下に見えた十三、四の女弟子、
「太夫さん、なんですか」
「わたしの衣裳つづらを開けてね」
「エエ」
「蝶貝の模様のついた手筥があるだろう。あれを持って来ておくれでないか」
「あの、小屋の方の上げ銭がはいっている? ……あれですか」
「黙って持ってくればいいんだよ、オチャッピイだね」
「……太夫さん」
「持って来ないのかえ」
「ありませんよ」
「ないはずがあるものかね、よく目をあいて探してごらんよ」
「でも、いくら見ても、ありませんもの」
「じれッたいねえ」
癇をおこして、お粂は自分でトントンと下へ降りて行きましたが、奥の部屋の衣裳つづらを掻き廻してみて、初めて、弟子のまちがいでないことに驚きました。
ここ数日間の興行と旅の間でかせぎ上げた百両程の金を入れておいた手筥がいつのまにか失くなっている。