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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
噛みつく釘抜き
「で――話は急だし大変です。切支丹屋敷の一件が町奉行の手に移って、ぐずぐずしていると、ここも捕手の目につくから、今夜のうちに世帯をたたんで一時どこかへ姿を隠した方が無事だろうと、こう親分が御心配なすって、その耳打ちだけをしておいてくれといって帰りましたぜ」
噛みつく釘抜き
がアーッと二、三羽の鴉――御行の松のこずえを打って、薄陽の残る御隠殿の森の暮色へと吸いこまれてゆく。
ここは根岸の里。
藪と山茶花ときれいな小川と、まして茶荘や寮構えの多いここらあたり、礼者や太神楽の春めきもなく、日ねもす消えぬ道ばたの薄氷から早くもシンと身に沁みる夜寒の闇がただようています。
すると。
かなり荒廃した海鼠塀の一軒の屋敷、そこでミリッと生木の裂けるような音がしたかと思うと、松の枝を撓わせて塀を越えた一人の若者が、ひらりと、大地へおどり立ちました。
空へハネ返った梢の先からハラハラと落松葉の身にかかるのを払って、ふところから取出した秀鶴頭巾を、
「うまく行った」
と、いうていにニコッと眉深にかぶったのは、この廃邸の下屋敷に、行状の直るまではと、押込めにあっていた徳川万太郎でした。