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もめんいぜんのこと

木綿以前の事

柳田 国男

木綿以前の事「女性」1924(大正13)年10月、何を着ていたか「斯民家庭」1911(明治44)年6月、昔風と当世風「彰風会講演」1928(昭和3)年3月、働く人の着物「旅と伝説」1936(昭和11)年7月、国民服の問題「被服」1939(昭和14)年5月、団子と昔話「ひだびと」1936(昭和11)年3月、餅と臼と擂鉢「社会経済史学」1934(昭和9)年1月、家の光「家の光」1926(大正15)年2月、囲炉俚談「文学」1935(昭和10)年3月、火吹竹のことなど「知性」1939(昭和14)年4月、女と煙草「ひだびと」1939(昭和14)年2月、酒の飲みようの変遷「改造」1939(昭和14)年2月、凡人文芸「短歌研究」1934(昭和9)年2月、古宇利島の物語「短歌民族」1933(昭和8)年5月、遊行女婦のこと「俳句研究」1934(昭和9)年4月、寡婦と農業「農業経済研究」1929(昭和4)年10月、山伏と島流し「俳句講座」1932(昭和7)年8月、生活の俳諧「第一高等学校講演」1937(昭和12)年12月、女性史学「実践女学校講演」1934(昭和9)年7月、女性史学「民間伝承」1936(昭和11)年3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 177,586 字 · 348 页

青空文庫

年功と閲歴によって、順に頭役に押し上がって行くことは、真言宗などの次制も同じであった。それでいて監督がかなり厳しかったのだから、つまりは古来の慣例が固く守られたのである。村の農家の彼らに給与する物と数量、是を貰いにあるく時も人も定まっていた。その配当の率なども、不文ながら動かぬものであったが、全部新しい明治の政府からは公認せられなくなって、後には仕来りを守る者が無くなり、生活の根拠は覆ったのである。九州の盲僧などと比べてみて、仏寺の勢力の及ばなかったのが興味ある一つの特色であった。だから瞽女たちは儀式にも経は読まず、ただ段物の長い叙事詩を語った。つまり我々のいう遊芸が、彼らの公けの職分でもあったのである。その修業は相応に苦しいものであったという。良家の娘たちの不幸にして明を失った者は、親が嫁入のような支度を調えて、御前の家へ送り込んだ。それが年を積んでよい地位に経のぼって行くことは、尼寺などと異なるところがなかった。彼らの品行の今いう遊女とまるでちがっていたのは勿論である。それからこういう人たちは手引のために、眼の見える娘を育てて使ったが、それは奉公人と同じで、年頃になれば縁に付け、是にも絶対に叨らな行儀は無かったと謂っている。