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もめんいぜんのこと
木綿以前の事
柳田 国男
木綿以前の事「女性」1924(大正13)年10月、何を着ていたか「斯民家庭」1911(明治44)年6月、昔風と当世風「彰風会講演」1928(昭和3)年3月、働く人の着物「旅と伝説」1936(昭和11)年7月、国民服の問題「被服」1939(昭和14)年5月、団子と昔話「ひだびと」1936(昭和11)年3月、餅と臼と擂鉢「社会経済史学」1934(昭和9)年1月、家の光「家の光」1926(大正15)年2月、囲炉俚談「文学」1935(昭和10)年3月、火吹竹のことなど「知性」1939(昭和14)年4月、女と煙草「ひだびと」1939(昭和14)年2月、酒の飲みようの変遷「改造」1939(昭和14)年2月、凡人文芸「短歌研究」1934(昭和9)年2月、古宇利島の物語「短歌民族」1933(昭和8)年5月、遊行女婦のこと「俳句研究」1934(昭和9)年4月、寡婦と農業「農業経済研究」1929(昭和4)年10月、山伏と島流し「俳句講座」1932(昭和7)年8月、生活の俳諧「第一高等学校講演」1937(昭和12)年12月、女性史学「実践女学校講演」1934(昭和9)年7月、女性史学「民間伝承」1936(昭和11)年3月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 177,586 字 · 348 页
主人が壮年にして死歿しまたはいなくなる百姓の家庭は、昔とても決して尠なくはなかった。そういう家で家業を持続することは、農は他のいずれの業よりも殊に困難なる事情があった。現に今日ではそれが大抵は農廃業の一つの原因となり、また多くは離散零落を伴のうている。作り高と村の戸数とを減少せしめざるを主義とした前代の農政では、とくにこの場合に向かって色々の方法を立てていたことが、『地方凡例録』などを見てもよく窺われる。娘があれば年が違っても聟を取る。後家には出来る限り入夫をする。こういうことは必ず家族関係を複雑にし、年老いたる者を不幸にする種であったが、それすらも避けることが許されなかった。或いは十歳前後の男の児ばかりで、母が末を案じて二度の夫を迎えまいとする場合などには、普通は一時家をたたみ、親子分かれ分かれに奉公などをして相続人の成長を待つのであるが、その間の土地管理が困難で、
作り高は村内の者に都合よく分け持たせ、後々再び有付かせ候様、
返し遣はすべく候云々
という類の訓令は、各領ともに幾らでも発せられているが、もし租税が重ければ村内に引受手が得にくく、新田場などのように負担が軽ければ、喜んで預かってくれるかわりに返したがらず、また取戻しにくくなっていたのである。