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もめんいぜんのこと

木綿以前の事

柳田 国男

木綿以前の事「女性」1924(大正13)年10月、何を着ていたか「斯民家庭」1911(明治44)年6月、昔風と当世風「彰風会講演」1928(昭和3)年3月、働く人の着物「旅と伝説」1936(昭和11)年7月、国民服の問題「被服」1939(昭和14)年5月、団子と昔話「ひだびと」1936(昭和11)年3月、餅と臼と擂鉢「社会経済史学」1934(昭和9)年1月、家の光「家の光」1926(大正15)年2月、囲炉俚談「文学」1935(昭和10)年3月、火吹竹のことなど「知性」1939(昭和14)年4月、女と煙草「ひだびと」1939(昭和14)年2月、酒の飲みようの変遷「改造」1939(昭和14)年2月、凡人文芸「短歌研究」1934(昭和9)年2月、古宇利島の物語「短歌民族」1933(昭和8)年5月、遊行女婦のこと「俳句研究」1934(昭和9)年4月、寡婦と農業「農業経済研究」1929(昭和4)年10月、山伏と島流し「俳句講座」1932(昭和7)年8月、生活の俳諧「第一高等学校講演」1937(昭和12)年12月、女性史学「実践女学校講演」1934(昭和9)年7月、女性史学「民間伝承」1936(昭和11)年3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 177,586 字 · 348 页

青空文庫

しかし相手がこれを聴いて、百年という声に驚いたのは、是がはたして百年も忍耐し得べき状態であったかということであった。蒲原低地の周辺の村々には、自分の知る限りにおいても簀の子をかかぬ小家がつい近頃まであった。村の衛生係員が床の下を清潔にといって遣って来ても、どうしようもない土床の家が方々にあった。独り東北の一隅でなくとも、また小作農でなくとも、多くの小農の経済はカテ飯の上に立っている。節倹は道徳といわんよりもむしろ法則であった。この人々の生活は、下肥をきたないという点にまで感覚が進んでは、続けにくい労働でありまた消費でもあったが、これに基づいていわゆる生活の飢餓点は測定せられ、その境目の所に生活を支えしめる限度において、人口は増加したのである。医術が大分進んで赤子が死ななくなったかも知らぬが、永く生きない人が多くなった。急性の飢餓はなくなった代りに、慢性の凶作は常にあるようになった。四百四病の一つに算えるのは当然で、貧の病で死ぬ者は実はなかなか多いのである。全体の生存に対する全体の食料は、どう計算してみても決して豊かでないのに、そのまた分配法が大変によくない。