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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
「とにかく往来じゃ話ができないから、先生の家まで行きましょうよ」
「えっ、わしの家へ来るッて言うのかい」
「そのつもりで、手土産のかわりに、少しばかり御馳走を買って待っていたのよ」
「こいつはどうした風向きだろう」
先生は酔わないうちから陶然と鼻毛を伸ばしてしまいました。
細い露地のドブ板を踏んでいると、二枚の板戸を閉てた先生のねぐらが、何事もなく待っていて、そこに掃溜へ鶴のような若い女を迎え、何はなくとも春のようで、行燈の明りまでがいつもの晩より明るい気がする。
お蝶が、たすきをかけて、酒の支度をしてくれるのを見ると、先生は感極まって、幾日も掃いた事のない箒を持ち、後の酒の美味さを夢みながら、
「正月め、おれを驚かそうと思って、不意討にやって来やがった」
どうもいつもの不性に似ず、働くことと言ってはない。
その有様を格子の外に立って眺めながら、
「おや、馬春堂の家へお嫁が来たのかしら?」
と、はいりかねている様子の男は、以前からここへは時折遊びに来るお人好しの率八であります。
馬春堂の家の常にない空気をのぞき込んで、率八は例の剽軽な口調です。
「先生、今日はたいそうお宅の中が明るいね」