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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
「じゃ稲、しッかりやれよ」
言い残して、何処ともなく、巷のなかに影を没してしまう。
稲吉はふところに手を入れて、指先で、肌に温まっている匕首を触ってみました。そして、ポツンと来た一つぶの雨に、頬へ手をやりながら、空模様を仰いでいたかと思うと、まだそれ程でもないのに、にわか雨でも来たように、一目散に走り出します。
そして、曲独楽の木戸口へ来る。
木戸番の男は下足札をたたいて、声をからしながら客を呼んでいる。その混雑に入りまじッて、何十文かの木戸銭を投げると、稲吉の姿もその蓆小屋のなかへ吸い込まれて行く。
中には、もう昼間から二、三百の見物が詰まっている。小屋の内を眺めると、何か大きな動物のあばら骨でも見るように雑な丸太組のホッ建て小屋で、無数の藁蓆と、へんぽんたる古幟とあまたのビラと、毒々しい幕と緞帳とで粉飾されています。
舞台では今、前芸とあって、やたらに騒々しがる男芸人と手踊りの娘とで、何か、お茶番じみた所作を見せている。
こういう雰囲気のなかに立って、どこを見るともなく、暫く、坐り場所をさがしていた千束の稲吉は、やがて薄暗い土間の隅に、一組の見物を見出して、