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えどさんごくし

江戸三国志

吉川 英治

「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页

青空文庫

峰から笠が飛んで来たとか、人が落ちて来たとかいうなら、まだ椿事とするに足らないけれど、女の帯だけが? ……人は見えずに帯だけが? ……

彼にはどうしても分りません。帯の依って起るいわれとこの結果の間が少しも想像がつかない。

そこで、何の目的もなく、いったん手に丸めた帯を木の根において、そのままそこを立ち去ろうとしましたが、またふと、何か去りがてな魅力があって、帯が自分を呼び止める気がする。

いよいよおかしい。

金吾はその帯を疑うよりも自分の心を疑って来ました。――帯が自分を呼ぶ? そんな莫迦なはずはない、そんなはずが……。

ですが、どうも、それにうしろ髪を引かれる気がしてならないのを、深山に起るあぶない心の錯覚として、邪気を払うように、杖を取り直してスタスタと立ち去りました。

それは、金吾の理性として、いつも誤たぬ正しい歩行であったでしょうが、理性必ずしも物を間違えない限りもありません。

なぜかといいますと――金吾が自分の気のせいだと思い消したのは、その心こそすでに疑心の霧にくるまれていた証拠で、事実、木の根においた女の帯は、一度ならず二度も三度も、彼を呼んでいたのであります。