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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
その中に、もう一つ残っていた品物があるのです。
何かというと、それは銀いろをした一箇の鍵でした。亡父の二官が公儀から役目の上に預かっていた切支丹屋敷の官庫の鍵です。
その鍵は、お蝶の飢えるたびに、
(官庫へおいで、官庫へおいで、切支丹屋敷のある庫を開ければ、無限に金目な物があるじゃないか、そこはお前もよく勝手を知っている場所じゃないか)
と怖ろしい誘惑を囁きます。
だが、怖ろしい。お蝶はあそこへ近づく事が何となく怖くて、今日まで、その誘惑と恐怖の闘いに幾度迷っていたか知れません。
――帯を固く締め、頭巾を眉深にかぶって、水口の戸をソッと開けてみると、昨日から小やみもない雪がまだサラサラと落ちている。
そこにある蛇の目の傘を開いて、お蝶は遂にその家から忍び出ました。
もう人通りもあるまいと思ったのは、家の中の考えで、通りへ出ると、掛取りの提灯が、雪の中をめげずに忙しそうに歩いています。
しかし、塗りの下駄に蛇の目傘のお蝶を怪しむものはなく、やがて彼女は、小石川の切支丹坂を下りて獄門橋まで一息に歩いて来ました。
そこまで来ると、龍平の獄門首がくわッと眼を見ひらいて、お蝶! と橋の袂から呼び止めるような気がする。