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もめんいぜんのこと

木綿以前の事

柳田 国男

木綿以前の事「女性」1924(大正13)年10月、何を着ていたか「斯民家庭」1911(明治44)年6月、昔風と当世風「彰風会講演」1928(昭和3)年3月、働く人の着物「旅と伝説」1936(昭和11)年7月、国民服の問題「被服」1939(昭和14)年5月、団子と昔話「ひだびと」1936(昭和11)年3月、餅と臼と擂鉢「社会経済史学」1934(昭和9)年1月、家の光「家の光」1926(大正15)年2月、囲炉俚談「文学」1935(昭和10)年3月、火吹竹のことなど「知性」1939(昭和14)年4月、女と煙草「ひだびと」1939(昭和14)年2月、酒の飲みようの変遷「改造」1939(昭和14)年2月、凡人文芸「短歌研究」1934(昭和9)年2月、古宇利島の物語「短歌民族」1933(昭和8)年5月、遊行女婦のこと「俳句研究」1934(昭和9)年4月、寡婦と農業「農業経済研究」1929(昭和4)年10月、山伏と島流し「俳句講座」1932(昭和7)年8月、生活の俳諧「第一高等学校講演」1937(昭和12)年12月、女性史学「実践女学校講演」1934(昭和9)年7月、女性史学「民間伝承」1936(昭和11)年3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 177,586 字 · 348 页

青空文庫

日本の新物尊崇は大抵は商人に刺戟せられている。そうして火吹竹なども手製が少なく、つまらぬ物だがやはり荒物屋から、買ってくる家が多かったのである。

火吹竹の歴史は、私だけは穿鑿する価値があると思っている。主たる理由はこの物がすでに用が無く、急激に消えて跡を留めざらんとしている点にあって、人がそのために根源の存在理由を忘れ、最初から無益の物好みのために、こんな何でもない流行を追うていたように、速断する虞があるからである。火吹竹を不用にした強力なる新文化は、前後三つまでは私に算え上げることができる。そのおしまいの止めを刺したものが、燐寸であったことは誰でもよく知っている。マッチはたった一本で放火さえできるのだから、是がそこいらにあれば無論吹竹はいらない。しかもこの物が普通の生活に入ってきたのは半世紀、せいぜい明治の十年代からで、それ以前は開港場に往来する者が、持って還って自慢にする魔法に近いものであった。燐寸は人間の骨で作るそうなと謂って、神仏の浄い火は特に燧石で鑽り出し、商人の方ではまた決して穢れてはおらぬということを、箱ごとに明記していたのも近い頃までの事であった。