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もめんいぜんのこと

木綿以前の事

柳田 国男

木綿以前の事「女性」1924(大正13)年10月、何を着ていたか「斯民家庭」1911(明治44)年6月、昔風と当世風「彰風会講演」1928(昭和3)年3月、働く人の着物「旅と伝説」1936(昭和11)年7月、国民服の問題「被服」1939(昭和14)年5月、団子と昔話「ひだびと」1936(昭和11)年3月、餅と臼と擂鉢「社会経済史学」1934(昭和9)年1月、家の光「家の光」1926(大正15)年2月、囲炉俚談「文学」1935(昭和10)年3月、火吹竹のことなど「知性」1939(昭和14)年4月、女と煙草「ひだびと」1939(昭和14)年2月、酒の飲みようの変遷「改造」1939(昭和14)年2月、凡人文芸「短歌研究」1934(昭和9)年2月、古宇利島の物語「短歌民族」1933(昭和8)年5月、遊行女婦のこと「俳句研究」1934(昭和9)年4月、寡婦と農業「農業経済研究」1929(昭和4)年10月、山伏と島流し「俳句講座」1932(昭和7)年8月、生活の俳諧「第一高等学校講演」1937(昭和12)年12月、女性史学「実践女学校講演」1934(昭和9)年7月、女性史学「民間伝承」1936(昭和11)年3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 177,586 字 · 348 页

青空文庫

そうしてこの頃すでに日本の人口は二千万近くもあったらしいのである。その中の一少部分は資力があった、真綿を入れた絹の小袖も着たことであろうが、この絹もまた古くから我邦にあったとはいいながら、その生産高は今日の輸出時代に比べると知れたもので、多分は百分の一にも届かなかったと思う。現に江戸初期の長崎貿易は、主として支那からの絹糸の買入れを目あてとしていたくらいで、かの土井大炊頭の糸屑の逸話が、読本にも載っていて女たちもよく知っている。その上にまた絹のいずれの点から見ても、決して働く人々の着物の料とするには適しなかったのである。

然らば多くの日本人は何を着たかといえば、勿論主たる材料は麻であった。麻は明治の初年までは、それでもまだ広く栽えられていた。その作付反別が追々と縮小の一途を辿っていたことを、世人は木綿ほどに注意していなかったのである。都会の住民は夏も木綿の単衣を着て、年中まったく麻を用いない者が増加するのであるが、それでも地方には未だ相応にこれを着ていたのだったということが、気をつけているとやや判ってくる。

先頃熊本県の九州製紙会社を見に行ったときに、私は紙の原料の供給地を尋ね試みたことがある。