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もめんいぜんのこと

木綿以前の事

柳田 国男

木綿以前の事「女性」1924(大正13)年10月、何を着ていたか「斯民家庭」1911(明治44)年6月、昔風と当世風「彰風会講演」1928(昭和3)年3月、働く人の着物「旅と伝説」1936(昭和11)年7月、国民服の問題「被服」1939(昭和14)年5月、団子と昔話「ひだびと」1936(昭和11)年3月、餅と臼と擂鉢「社会経済史学」1934(昭和9)年1月、家の光「家の光」1926(大正15)年2月、囲炉俚談「文学」1935(昭和10)年3月、火吹竹のことなど「知性」1939(昭和14)年4月、女と煙草「ひだびと」1939(昭和14)年2月、酒の飲みようの変遷「改造」1939(昭和14)年2月、凡人文芸「短歌研究」1934(昭和9)年2月、古宇利島の物語「短歌民族」1933(昭和8)年5月、遊行女婦のこと「俳句研究」1934(昭和9)年4月、寡婦と農業「農業経済研究」1929(昭和4)年10月、山伏と島流し「俳句講座」1932(昭和7)年8月、生活の俳諧「第一高等学校講演」1937(昭和12)年12月、女性史学「実践女学校講演」1934(昭和9)年7月、女性史学「民間伝承」1936(昭和11)年3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 177,586 字 · 348 页

青空文庫

今でも瓜哇などの米作はこの通りで、写真で見ると全然鋏と籠との作業である。大変な人の手を要し、且つほとんと藁の利用ということを断念した生産であった。

現在日本の農業においては、苅上げはもちろん米生産作業の完成ではない。自作農にも小作人にも、生産の労働は玄米俵入れ、すなわち臼場の仕事の終りまで続くので、だからまた臼じまい、庭仕舞の祝というものが始まったのである。ただしこのアラ摺り方法の発明は新しいことで、近き百年以内までは、貯蔵は多くの地方では籾を囲い、糠を去る仕事は食事の準備に過ぎなかった。摺臼というものが入ってくる前には、玄米を得るのは木臼と手杵との労働であった。上代の舂米部の任務は今日の舂米屋のそれとは異なり、主として籾を玄米にすることを目的とした。米精白の趣味流行とも名づくべきものは、つまり簡便なる籾摺機械が、立臼・手杵と手を分かってから後の事であった。それ以前の久しい期間は、籾の俵入れこそは農業の終りであって、アラ搗きはすなわち家々の消費作業と認められていたのである。東部日本の多くの都会にあるアラマチ(粡町)という地名は、もと玄米調製が城下市街の事務であったことを示している。