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もめんいぜんのこと

木綿以前の事

柳田 国男

木綿以前の事「女性」1924(大正13)年10月、何を着ていたか「斯民家庭」1911(明治44)年6月、昔風と当世風「彰風会講演」1928(昭和3)年3月、働く人の着物「旅と伝説」1936(昭和11)年7月、国民服の問題「被服」1939(昭和14)年5月、団子と昔話「ひだびと」1936(昭和11)年3月、餅と臼と擂鉢「社会経済史学」1934(昭和9)年1月、家の光「家の光」1926(大正15)年2月、囲炉俚談「文学」1935(昭和10)年3月、火吹竹のことなど「知性」1939(昭和14)年4月、女と煙草「ひだびと」1939(昭和14)年2月、酒の飲みようの変遷「改造」1939(昭和14)年2月、凡人文芸「短歌研究」1934(昭和9)年2月、古宇利島の物語「短歌民族」1933(昭和8)年5月、遊行女婦のこと「俳句研究」1934(昭和9)年4月、寡婦と農業「農業経済研究」1929(昭和4)年10月、山伏と島流し「俳句講座」1932(昭和7)年8月、生活の俳諧「第一高等学校講演」1937(昭和12)年12月、女性史学「実践女学校講演」1934(昭和9)年7月、女性史学「民間伝承」1936(昭和11)年3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 177,586 字 · 348 页

青空文庫

すなわちただこの時代にあってこういう語り草がもてはやされたことを、窺い知らしめる史料であるに過ぎぬ。

しかもこの連歌が追々に後を引き、百句五十句と鏈のように繋いで行くという、また一段と悠長なものになって来たので、それを単簡なる一首両作の連歌と区別するために、後の方をば続ぎ歌とも謂っている。このいわゆる続ぎ歌に方式が定められ、人がこれを守って際限もなく、同じようなことばかりを繰返すようになると、早くもその単調を破るために、別にまた俳諧の連歌の必要を生じて来るのであった。だから初期の俳諧師は、必ず連歌師の門から出ている。伊勢の荒木田守武のように、徹頭徹尾戯れの句ばかりを続けた人も無いではないが、本来は長ったらしい連歌の間へ、時々頓狂な俗な句や言葉を挟むのが興味であったことは、『犬菟玖波集』などからも推測せられる。それが連歌は連歌、俳諧は俳諧と、両者全く別なもの見たいになったのは、言わば前者の零落であり形式化であった。もともと俳諧の連歌は、ただ俳諧をまじえた連歌でよかったのである。それを心得ちがいして荒木田守武式に、どこまでも駄洒落と警句との連発でなければならぬと、思っている人ばかり多かった際に、わが芭蕉翁だけが立ち止まって、もう一度静かに考えられたのである。